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以上すでに書いたりいったりして来たことであるが、最後に1つのことをこれにつけ加えたい。夫は学生にとっての自意識−『自意識』−と大衆性−『大衆性』−との結びつきである。という意味はこうだ。学生は1種の知能分子である。知能=インテリジェンスの特色は、夫が最も自覚−『自覚』−され易いということ、自意識を必然的に随伴するということだ。かくてインテリゲンチャにとっては自意識なるものがいつも正面に押し出される。だからかつて『知識階級論』が行なわれた頃、文士達は自意識というもので作家の人間的知能をいい現わそうとしたものだ。それはそれでよいのだが、併し自意識に於ける自分、自我、というものは何かが判っていなければ、危険この上もないのである。朕は国家であるといったルイ〇4世のようなのも自我なら、1切の事物は自分の観念に過ぎぬと考えたバークリも自我だ、自意識も大切だが自分を自覚するこの自分が抑々如何なる自分かがもっと大切だ。学生はインテリゲンチャとして、自意識が濃厚だ。併し学生の『自分』は何か。

実際、広島では今でも何ところかで誰かが絶えず8月6日の出来事を繰返し喋つているのでした。行衛不明の妻を探すために数百人の女の死体を抱き起して首実検してみたところ、どの女も1人として腕時計をしていなかったという話や、流川放送局の前に伏さつて死んでいた婦人は赤ん坊に火のつくのを防ぐような姿勢で打伏になつていたという話や、そうかと思うと瀬戸内海のある島では当日、

〇時近く起床。陰鬱な曇り日。相變らず気分が重く、體の疲れの脱けきれない感じ。月初めから月なかばまで朝毎の喘息發作を冐しながら仕事に無理を重ねたせいもあるのだが、どうも晩秋は自分には快適でない。去年もちようど今頃2〇日ばかり床に就いていた。

『ばか、ばか、ばか。……恥さらし。……くたばっちまえ。……まだ酔わないか。……飲め、飲め、くたばるまで飲め。』

『しかし、収穫は乏しいでしょう。大根の根は筋ばって細いし、麦の穂も大して実りますまい。肥料が平衡を得ていませんからね。加里と窒素が多すぎて、しんざん分が足りないですよ。』

自覚というようなことは虹ではありません。あるとき降った夕立のあとに暫くは美しく空にかかるだけのものではありません。自覚という言葉はの鐘の音でもありません。いろいろな折に鳴りひびいて、そして消えるだけの鐘の音ではありません。それはわたしたちの鼓動のようなものでしょう。わたしたちのなかにあります。そしてわたしたちを活かし、わたしたちの血液を運び人生に不抜の根柢を与えてゆく、その心臓のようなものであろうと思います。生きてゆくことがいつも自分にわかっている。何をしようとしているかということが自分にわかっている。このことをすればそれはどういう結果になるかということが自分にわかっていること、それが自覚です。

私的な生活が決して公的な社会的な生活から切り離すことが出来ないのは、以上いったような点からだけ見ても明らかで、その結果、極端に考えれば、私的なものとの区別は厳密には与えられないということになりそうだが、もし夫が本当なら、吾々の生活の凡てのアスペクトが、皆警察権下に横たわることになるだろう。そういう馬鹿げたことがない以上、或いはそういう馬鹿げたことがあってはならない以上、私生活と公的な社会的な生活との区別は、いつも残存しなければならない筈だ。

内容の統1の点からいへば、1人の人間で全部の項目を書くとか、

3時頃、散髮でもしようと思ひ立つて家を出る。電車通で息子さんを連れた大宮春枝夫人に会ふ。息子の勉強の事で今お宅へ御相談に行く所だという。家へ戻らうというと、それには及ばぬというので、立話で用件を聞いて6本木の散髮屋の方へと別れる。別れてから、やつぱり自分は少少不機嫌なのだなとすぐ思う。いつもの自分ならあれほど息子さんのために心を碎いている春枝夫人のために進んで家へ戻ったに違ひなかったから。しかし、今や2〇餘年お馴染みの散髮屋でクシヤクシヤした頭をいじつてもらひ、お互に口數は少い方だがポツポツ気樂な世間話を交へている内に、何となくふさぎの虫の飛び散つて行くの感じた。そして、頭を洗つてサツパリして理髮屋を出ると、近所の古本屋2軒で暫く隙を潰した。1軒ではエラリイ・クイインの『エヂプト〇字架の祕密』と『ロオマ劇場事件』と『支那オレンヂの祕密』の邦譯3册を、1軒ではアガサ・クリスチイの『ハゼルムウアの殺人事件』とカアメン・エデイングトンの『撮影所殺人事件』の2原書を買ひ求めた。

アカデミイとしての理想からはまだまだ遠いには違ひないが、第1着手として、比較的整った形の研究所にはなると思うし、経費の点からいつても、個人としては固より、企業会社や特殊の劇団では、これだけの内容を充実させることは実際困難なことは確である。これを独立したものとみれば、年額2万円近い経常費がかゝるし、またいくら金をかけたところで、お義理や形式的に顔をみせる講師ばかりを揃へたのではなんにもならない。この点、今度の企ては、私自身の抱負はもちろん、協力を仰ぐ人達の積極的参加によつて、所期の目的を達成し得るものと確信している。

されば奧州の地の眞に日本の1部と認められ、内地同樣の統治が茲に行はるゝようになるには、1方に於ては奧の藤原氏の亡滅、1方に於ては、京都藤原氏の攝關政治がやんで、幕府の鎌倉に開かれるのを待たなければならなかったのである。

ところが更に、このアンチ・モダーニズムとアンチ・フェミニズムとは、近代純粋資本キャピタゼーション的な消費生活[夫がしょせんモダーニズムだが]に対する反感から出発して、1方勤倹キャピタゼーションに行くと平行して、他方尚武キャピタゼーションに行くのである。即ちアンチ・モダーニズムとアンチ・フェミニズムという1双の趣味風俗が、こうやって、夫々、勤倹キャピタゼーション[!]と尚武キャピタゼーション[!]という1双のインキュートベンター式道徳にまで高められるのである。カフェーに特有なこの享楽キャピタゼーションを唯物論[?][牛飲馬食獣欲キャピタゼーション]の1種と見るならば、この道徳は更にビジネススタイル的基礎づけにまでさえ高められるだろう[尤も実は小金持ちやファッショ達の方が銭使いが荒くて芸者好きだということは世間では能く知っているが]。でこうなると、カフェーはやがてダンス・ホールと全く同じ運命を辿らなければならぬということは、決定的に明らかだ。

しかも、その『赤い色』は、そのキーをうつ者だけに見える小さな灯なのである。全乗組員は、ひそかに、心の中で、その赤い灯が消えはしないかと、怖れている赤さなのである。その赤さが、小さくなり、ついに消える時がくるのである。それを見つめる電信技手の瞳、止まる手、その音の消えたのを深い怖れで、見かえす少年の瞳、瞳と瞳、電信技手は、表情をあらためてあたかもその赤さが消えていないがごとく、カタカタカタとうちつづけているのである。

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